多磨に眠る人たち(5) 古賀峯一
2009年 03月 25日
山本五十六の戦死後の連合艦隊司令長官に就任したのが、古賀峯一です。
いわゆる「条約派」の一人で、米内光政、山本五十六、井上成美などに近い人物でした。
昭和19(1944)年3月、飛行機事故により殉職。
同日付で「元帥」位を贈られました。
多磨霊園の「名誉霊域」という特別の区域内に墓所がありますが、
並んでいる東郷平八郎や山本五十六の墓と比べると、
墓石には肩書もありませんし、
形状も五輪塔で、まるで出家者の墓のような地味なものです。
このような墓が建てられたのは遺族の意向の反映なのでしょうが、
彼自身にとっても、この質素さがいちばんふさわしいようです。
制海権も制空権も山本五十六も失った後に任ぜられた連合艦隊司令長官ですから、
顕職とはいえ、苦悩の連続だったことと思われます。
彼もまた悲劇の提督の一人だといってよいでしょう。(H)
いわゆる「条約派」の一人で、米内光政、山本五十六、井上成美などに近い人物でした。
昭和19(1944)年3月、飛行機事故により殉職。
同日付で「元帥」位を贈られました。
多磨霊園の「名誉霊域」という特別の区域内に墓所がありますが、
並んでいる東郷平八郎や山本五十六の墓と比べると、
墓石には肩書もありませんし、
形状も五輪塔で、まるで出家者の墓のような地味なものです。
このような墓が建てられたのは遺族の意向の反映なのでしょうが、
彼自身にとっても、この質素さがいちばんふさわしいようです。
制海権も制空権も山本五十六も失った後に任ぜられた連合艦隊司令長官ですから、
顕職とはいえ、苦悩の連続だったことと思われます。
彼もまた悲劇の提督の一人だといってよいでしょう。(H)
by triangleYYY
| 2009-03-25 21:26
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